社会医療法人葦の会
創設者 田頭 政佐
当法人創設者、故田頭政佐は、1958年に精神科神経科たがみ医院を開業し、最初から先駆的に患者さまの尊厳を大切にした開放処遇を進めていました。
1965年にはイエス・キリストを救い主と信じ、バプテスマ(洗礼)を受け、クリスチャンとなりました。それ以降、医療におけるキリスト教信仰の具現化を目指し、知性と実践の両面において、精神科医療や老人医療そして終末期医療のために努力していました。
洗礼を受けた翌年1966年には、精神科医療について次のように述べております。
「やがて何日の日にか、すべての覆いが取り去られる日が来ます。その時精神障がいという名の覆いも取り去られることを信じます。その日にこそ、私達が真に喜び合える為に、私達の現在を耐えぬかねばらならいのではないでしょうか。その日を望み見て私達は今、私達の誠実をつくし合いたいものだと思うのであります。」
1983年には沖縄で最初のホスピスを開設したことは次のように振り返っていました。
「これは、究極的には、魂の救いである。永遠の世界の問題である。治療もそこに向かっていけばいいのです。死を目前にした人たちの死の問題の解決にはキリスト教しかない。ホスピスはキリスト教を標榜する病院にとっての使命だと考えたからです。」
さらに、医療の実践においては、ホスピスケアのあり方を常に訴えていました。
「ホスピスケアを受けられたほとんどの方が、救われてから地上を去られます。広い意味では、老人病棟もホスピスケアの対象であり、さらに広くこの世すべてがホスピスケアの対象だと言うことができるでしょう。そして私は神を除外した単なるヒューマニズムの視点ではなく、また単に主観的、心理的な慰めではなく、客観的、歴史的な事実としての神の愛、神の救いの御言葉に焦点を合わせて、ホスピスケアを行っていきたい。」
また、クリスチャンの日々の生き方の中で非常に重要な意味をもっていると聖書に教えられているイエス・キリストの再臨に関しても学びを深めていました。そこで、イエス・キリストの再臨の場所としてのエルサレムのオリブ山にちなみ、病院名を「たがみ病院」から「オリブ山病院」へ1983年にと改称しています。
「エルサレムにあるオリブ山は、イエス・キリストが復活昇天された場所であり、やがて再臨される場所である。実際にオリブ山から見下ろすエルサレムの街は、この病院から見る那覇の景色とよく似ている。オリブ山は、最終的な解決の場所である。罪と死の解決がキリストの再臨にあるという希望をもって、この病院はオリブ山と名づけられている。」そして、聖書の研究と客観的な事象の観察から、終わりの日は近いと信じていました。
「20世紀以降、終末預言が私たちの周囲で成就しつつあり、21世紀の私達は、まさしく終末の時点に立っていることは明らかです。終末の背教の時代は既に始まっております。次に期待できるのは初代教会以来、教会が待ちわびているイエス・キリストの御再臨、教会の携挙です。その時に教会は死んでいる者も生き残っている者も、共に一瞬にして義認、聖化、栄化の恵みのうちに主の御許に引き揚げられることになっています。その教会の携挙の日が目前に迫っていることを私は信じています。」(2010年4月9日召天者記念会)
創立の精神
傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。
(イザヤ書42章3節)
理念
私たちはキリスト教精神にもとづき、病める者の肉体的、精神的、社会的、さらに霊的ないやしを含めた全人医療の実践をとおして、主の栄光のために奉仕する。
「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者ひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」
(マタイによる福音書25章40節)
創設者の祈り
「オリブ山は、私たちの救い主、イエス・キリストの復活昇天された場所であり、やがて再臨される山であることにちなんだものです。それはまた、私たちの一切のいとなみの窮極的な解決はただ主のご再臨にかかっていることの信仰告白でもあります。どうか私たちの小さな奉仕を主が豊かに用いて下さり、主のご光栄を現して下さいますように。」